【次男17歳の誕生日】当時37歳だった私は、17年経った息子に何を残せたのか。過去からのプレゼント。

子どもにまつわる.etc

本日は次男の17歳の誕生日。

17年前、私は37歳だった。

17歳になった息子とワンコの散歩をしながら話してみた。「17年前の自分は、何を思っていたか」を。

ここからは、私の回想録で話が進んでいくので、読みにくい箇所があった際はご容赦願いたい。

今でも、はっきり覚えている。

私は仕事をしていた、それもかなり忙しく。

当時の私は会社を経営し、店舗もやっていた。

今のように、お金と時間を自由に使える生活ではない。

スタッフがいるとは言え、社長がおいそれと店を空けることは簡単ではなかった。

だから、長男のときも、次男のときも、出産には立ち会っていない。

私は「血」が大の苦手である。

外で待つならいざ知らず、分娩室に入ろうものなら卒倒ものである。

皆さんにとって『迷惑な奴』以外の何ものでもない。

里帰り出産

二人とも妻の実家近くの病院で出産した。

国立の、しかも当時、病院長先生は新生児のスペシャリスト。

NICU(新生児集中治療室)まで備えた大きい病院であった。

妻が実家へ帰省して出産し、子どもが生まれたら、私が妻の元へ向かう。

それが、我が家の出産だった。

現在の感覚からすると、

「父親なのに、出産に立ち会わなかったの?」と思われるかもしれない。事実、当時でさえその声はあった。特に私の身内から…。今でも姉夫婦には理解してもらえないだろう。

しかしあの頃の私は、そうすることが我が家にとっては、最善だと思ったからだ。

超、安産

私が安産を信じた根拠。そう、私の妻は心と身体が人一倍丈夫なのだ。

ほとんど風邪もひかない。

今でもそうだが、身体が強い。

そして、出産もとにかく早かった。

長男は、分娩室に入ってから45分、次男は、なんと30分。

二人とも、あっという間に生まれてきた、らしい。

※なにしろ立ち会ってないからね…。

安産の知らせは、義母(私にとても優しい)からの連絡で知ることとなるが、とても晴れやかな声で私に伝えてきたのを、今でもはっきり覚えている。

長男は2,850グラム。次男は3,200グラム。だったと思う。※父親とはこんなもの。

二人とも、超健康優良児だった。

長男のときだけ、少し血液型不適合があり、黄疸が出た。

面会ができない状態が続き、妻と長男は病室で一週間を過ごし、その後、長男だけがさらに一週間入院。

母乳が出ていたので、搾乳をして毎晩長男の元へ届けたのが今では懐かしい。

しかし、当時はさすがに慌てた。水槽のような乳児特有の治療ベッドにいるときは、本当に大丈夫か?と焦りもした。

もちろん、ほどなく落ち着き退院の運びとなるが、生まれてから少しの間、長男を抱けなかったのは、私にとっては寂しい思い出だ。

妻の実家に帰ってからは何事もなかったかのように、母乳をがぶ飲み長男。

次男ももちろん母乳で育った。こちらもがぶ飲み。いやはや、本当によく出るお乳でした。そして、本当によく飲む二人でした。

以前のブログにも書いたが、二人とも本当に健康に育った。

学校もほとんど休まない。長男12年間、無遅刻無欠席無早退。児童会長、生徒会長、弓道部部長、現在120名を擁するサークルの会長。次男9年間でズル休み一回、高校は車との接触事故(超軽微なもの)で遅刻が一回(これ、無しにしてくれよ!的な感じ)そして、THE次男を絵に描いたような自由っぷり。

二人とも、大きな病気などすることもなく、今日まで来た。

親として、これほどありがたいことはない。

37歳の私、家を建てる

そして次男が生まれた17年前、私は37歳で自宅を建てていた。

当時の総額は、およそ5,000万円。今だったらどのくらいになるだろう?原材料費や人件費のアップ、もちろん金額は現在の比ではないはず…。怖。

土地が86坪で約2,000万円。

これは元々2,800万円だったものを800万円ディカウントしてもらった。半ば強制的に。笑。ニューヨークに住む資産家の老淑女からお譲りいただいたのだが、この土地は40年塩浸かっていたし、初めてこの土地に家を建てることもあり、地盤調査も必要とされた。と言うわけで交渉開始、見事勝訴!って感じの流れ。

建物は住友林業で約2,500万円。

完全注文木造住宅で、上下合わせた床面積は40坪。家族4人と少し後で迎え入れるワンコを合わせても、十分な広さである。一階フロアはハイウォール仕様、部屋数も少なくし、開放的な住まいを目指したので、17年経った今でも心地よい空間が広がっている。

ショールームに行った際、当時の長男が丸いものが好きで、住林のキャラクター「きこりん」の檜削り出し人形をもらって嬉しそうにしていたこともつい最近のことのよう。この頃の次男は住所が常に『母の背中』だった頃。

そして、残りの金額は諸費用などだ。これもホント、バカにできない。お尻の毛も抜かれてしまう勢いだ。

築17年。

数字だけを見ると、「もう17年も経ったのか」と思う。

でも、家の中にいると、そんな古さをほとんど感じない。

何せ私は大の掃除好き。以前のブログでもお伝えしたが、掃除機を掃除する掃除機があり、その掃除機のゴミをとってくれる掃除の道具も完備、している。

家具たちも自分たちの生活スタイルに合わせて、質実剛健。

これも『椅子』の章で語った通りだ。

流行を追いかけるのではなく、長く使えるもの、気に入ったもの。

そして家族が普通に幸せに暮らせること。

それを大切にした結果。心地よい、住みやすい居心地の良い家となった。だけである。

結局、家も人生も同じだ、必要以上に飾らなくてもいい。肩肘貼らなくていい。

自分たちが気持ちよく楽しく暮らせれば、それでいい。

私を支えた本当の応援団

妻の実家には本当に感謝している。

妻のご両親、ご親戚。そして義理の祖母。

みなさん、私の仕事をきちんと理解してくれていた。

私が出産に立ち会えなくても、

「しっかり仕事をしてきなさい」

そんな気持ちで支えてくれていたのだと思う。

罰当たりな当時の私は当たり前のように思っていた部分もあった。

しかし、54歳になった今、振り返ると分かる。

あれは当たり前ではなかった。

家族がいて、仕事があって、子どもが生まれる。

その裏側には、必ず誰かの支えがある。

17年経って、そのありがたさが身に染みてよく分かる。お礼を伝えたい人たちは、もうすでにこちら側にはいない。

あれをしておけば、これをしておけば

出産に立ち会わなかった私は、仕事において必死に資産を築いてきた。

今のような新NISA制度は無い。インデックス投資などというものがあることさえ知らなかったし、また興味も無かった。

S&P500、オルカンなど、長期投資についても今なら余裕で情報が手に入る。そのためのツールも充実している。

でも、17年前の自分は無知だった。そして、そんなことを考える前に仕事だった。

商売は面白かった、仕事も楽しかった。何より若かった。がむしゃらだった。

今だから17年前の私に伝えよう、よく頑張った、と。

息子たちに残した「保険」二人へのプレゼント

さて、ここからが今日の本題。

学資保険にも入ったが、これは正直、私の感覚には合わなかった。確かに利息はついて戻ってはきたが、何の面白みもない。が、故にあっといううまに何に使ったか分からず消えた。

ここで読書諸兄に伝えたい。

私が息子たちの未来の◯◯◯◯のために頑張り続けてきたもの、それが医療保険と死亡保険だ!。とな。

「生まれたばかりの子どもに死亡保険?」縁起でもねーなー。と思う読者諸兄もいるだろう。

その気持ちは分かる。

私だって、子どもが生まれたばかりのときに「お葬式」のことなど考えたくなかった。

しかし私には心強い”ブレイン”となる人がいた。人たち、がいた。

17年、21年という時間が経つと、これはかなり強力な、そして強烈な思考に育つ。

保険は、病気や死亡そのものを防ぐものではない。

「もしものとき、お金のことで困らないようにするもの」

と言うことは私も理解している。

読者諸兄からは、「生まれてすぐの子供が病気?」や、「長期入院で介護?子供が?」など、さまざまなお言葉もあることだろう。まあ聞いてくれ。

我が家では息子たち二人とも全く同じ条件で加入している。

ここからは、あくまでも我が家の契約内容と考え方として読んでほしい。

保険は年齢、家族構成、収入、資産、公的保障などによって必要額が変わる。

生命保険文化センターも、必要保障額は家族構成や収入、資産、子どもの年齢などを踏まえて考えるものとしている。

だから、「この保険に入れば正解」

という話ではない。てことは重々承知だが、ご一読あれ。

THE 医療保険

まず医療保険だ。

入院した場合、1日につき1万円。

手術をした場合は、手術内容によって、

5万円、10万円、20万円、40万円という給付金が出る契約。

次に、がん保険。

がんと診断された場合、50万円の一時金。

さらに、その月に1日でも通院すれば、がん保険から月額8万円支給。

誤解してほしくないところを記載しておこう。

この月8万円の根拠は「高額療養費制度を利用しても毎月実費でいくらかはかかる」から、このくらいの保険金をもらえれば安心と言う意味ではない。

公的な高額療養費制度は、医療費の自己負担が一定の上限を超えた場合に、その超過分を支給する制度。

上限は年齢や所得などによって変わる。

現在は制度の見直しも行われているので、ぜひ、ご自身が病気になった時の医療費などを、詳しくご自身に当てはめて考察してほしい。

さて、私はこう考えた。

「公的保障(特に子供たちは18歳まで医療費無料※私たちの住む地域での話し)があるから民間保険はいらない」ではなく、「公的保障がある。その上で、自分たちが必要だと思う部分だけ民間保険で補う」&「これから先、子どもたちが成人になった時のこともね」という考え方だった。

月額4,500円で終身保障

この医療・がん保険の保険料は、現在の契約内容で月額約4,500円。(一人分)

がん保険については、先進医療などの部分で10年に一度程度の見直しがあり、数百円程度変動する部分はある。

ただ、基本的には終身保障。

つまり、若いうちに加入した保障を、保険料がほぼそのままで、その後も長く持っていくという考え方だ。

70歳になっても、基本的な保障は続く。保険料金もほぼ変わらずに、だ。

もちろん、保険会社や契約によって条件は違う。保険に入る年齢によっても差は生まれる。

だから、ここも「我が家の場合」として読んでほしい。

もう一つの保険

そして、もう一つ。

死亡保険。

正確には、将来のお葬式などに備えるための終身保障だ。

縁起でもない話ではあるが、それでもいつか人は亡くなる。

それなら、残された家族が負担にならないようにするお金の残し方を考えておこう。

結果、この考えに至った。

この保険は20年間の払込。

月額は約3,300円。10円単位以下は省略する。

つまり、3,300円 × 12か月 × 20年=

792,000円(約79万2,000円を払い込む)

そして保障は、

終身200万円。

ここがポイントだ。

20年間払えば、その後は保険料の支払いが終わっても、200万円の終身保障が残る。

単純に保障額と払込総額だけを比較すれば、200万円-79万2,000円で、約120万8,000円の差になる。

ただし、これは貯蓄や投資のような「120万8,000円儲かる」という話ではない。

死亡時に200万円が支払われるという保障を買っているからだ。故に「お葬式代」な訳。

私が未来の◯◯◯◯に送る、十分意味のある保険だ。

そして、誰が?

ここで、私は少し偏屈に物を考える。

これは『今の家族』の誰もが得をしない、と言うこと。まあ、自分で死亡保険なんて受け取れないのは当たり前だし、しいて言うなら病気になった時の保証くらい。そもそも病気や死亡で「得」と考える方が「?」である。

では誰が?

私は、長男が誕生した21年前から夢を見ていた。17年前、次男が生まれた時も一番に想った。

そう、それは

未来にいつか出会うであろう、息子たちの奥さん。だ。

まだ会ってもいない、来てくれるかも分からない、未来のお嫁さんに向けた、私からの「超お得物件プレゼント」なのだ。※息子込みで。

もちろん、これは私の勝手な考えだ。あぁ、そうさ、妄想さ。

でも、私はこのブログで夢を語る。

息子たちのお嫁さんにお酌をしてもらえる、その日を。笑

「必要な保険」3つ

私自身の保険についても、シンプル is ベストだ。

必要だと思っているのは、大きく3つ。

1つ目。

家族に残す生命保険(私の場合は、2,000万円程度)

2つ目。

お葬式などに対応する終身保険(これは息子たちと同じ200万円)

3つ目。

医療保険(入院/手術/がん。私の場合、月額約1万円位)

これを見ていただけるとわかる通り私は「何でもかんでも保険に入る」というタイプではない。

むしろ逆。

過度な保険加入はしない派、必要なところだけ、きっちり備える派。

もちろん、これは私の価値観。あくまでご参考までに。

家族構成や資産、住宅ローン、公的保障、働き方によって必要な保障は変わる。

保険考察〜特にお金に基づく〜

息子たちの保険(入院/がん)を掛け始めたのは、10歳の頃。

子どもたちの医療費は18歳まで実質無料、であるにも関わらず、だ。

ここで面白い計算をしてみよう。

息子一人分の医療保険の月額を約4,500円として、単純に計算すると、

4,500円 × 12か月=年間54,000円。

私の医療保険の金額を10.000円として私が30歳から支払い、息子との損益分岐点を計算すると、

息子が、およそ46歳くらいの時に重なる。

この計算は、46歳以降の息子たちの生計を助ける一助となり得ることを示唆している。

この頃を、自分に置き換えて考えてみても、一番生活にお金のかかる時。

将来の息子たちの奥様も、きっと家計で苦労している頃であろう。

そんな時に保険料が高かったり、無駄に支払わなければならないとなったら、そりゃもう大変。

私と一緒にお酒を飲み、『お酌』どころの騒ぎではない。

そう考えると「なかなか良いと思わないかい?」である。

成人、これ即ち責任

息子たちが大学を卒業し就職したら、その時点でこの保険を本人たちに渡すつもりだ。あとは任せた、と。

それまでは私たち夫婦が払う。

長男は、すでにお葬式用の保険の払込が終了している。

次男はあと3年。

就職したら医療保険も本人たちに渡す。

そこで、「はい、あとは自分でやりなさい」となる。

結婚後

私は、息子たちが結婚するときに悩まないでほしい。

「保険、どうしよう?」とゼロから考えないで欲しい。

それはそれで楽しいことでもあるかもしれないのだが、転じて夫婦の仲が冷え込むこともある。

もちろん自分たちで考えて、足りないと感じたら追加すればいい。

もっと大きな保障が必要と感じたなら、もう一つ加入すればいい。

それは本人たちの自由。

私たちが用意できたのは最低限の医療保障と、万一のときのお葬式に対応できる終身保障。

それでも未来に息子たちから、「親父、助かったぜ!」と言われ、未来のお嫁さんが『お酌』してくれれば、それで十分だ。

何しろこの保険、まだ会ってもいない女性へのプレゼントみたいなものなのだから。

※先述した、家族に残す生命保険(私の場合は、2,000万円程度)の息子たちVer.は存在する。また後日、ゆるゆる語ろうか…。

色褪せない保険料

本日、次男が17歳になった。

頑張って17年前の記憶を思い返してみる。

だめだ、何も覚えとりゃせん。

長男と次男が少しずつ大きくなっていった。

そんな記憶は、今でも鮮明に残っているが…。

ただ不思議なことに、保険料の支払いは、まったく色褪せていない。

毎月3,300円と4,500円。

その小さな積み重ねが、17年後の今、確かな保障と蓄財になっている。

子どもたちの成長とともに我々も”親として成長”したんだと感じる。

「へその緒」と「ギター」

妻には、息子たちとの絆。『へその緒」がある。

私は分娩室すら入ることができない小心者なので、”それ”を拝見するのは、ちときつい…。

それでも、やはり大切な我が子とのつながり、妻は大切に保管している。

さて、私も何か息子たちとのつながりとして、人に自慢できる一品が欲しい。

当時の私は考えた。

そうだ!ギターを買おう!笑

長男の生まれ年2005年製、次男の生まれ年2009年製。

それぞれの人生の始まりと同じ年に、息子たちのためにと、私が注文し、手に入れたギター。

これは、保険とは全く違う。私の我欲に塗れた逸品だ。

お金の合理性だけでは到底、説明できない。

しかし、これは私にとっても、息子たちの人生にとっても「お金」と素敵に重なるであろう、投資のようなものだ。

ふふふ、このギターたちについては、また別のブログで書くとしよう。ご一読あれ。

長男21歳、次男17歳

長男21歳、大学3年生。

次男17歳、高校2年生。

二人とも、もう子どもというより、一人の人間としての人生を歩き始めている。

お嫁さんの話なんて、まだまだ先だろう。

でも、二人の未来を思い描くと、希望しかない。

17年前の私は、こんな未来を想像していただろうか?54歳で会社を閉めるなんて、その頃は夢にも思わなかったのではないか?

今日、あれから17年経って、次男と会話し振り返ってみると、

そのひとつひとつが、ちゃんと今につながっている。

ハッピーバースデイ

最後に、今日17歳になった次男へ。

誕生日おめでとう。

17年前、俺は37歳だった。

おぬしが生まれたその瞬間、俺は分娩室にはいなかった。

仕事をしていた。『しないといけなかった』からである。

でも、おぬしが生まれたと連絡を受け、仕事を片付けすぐに母さんの実家へ向かった。

初めて会った元気な男の子、3,200グラム。

あれから17年、本当にデカくなった。

17年という時間は、本当にあっという間だった。

俺もたくさんの人から、考え方や生き方を教えてもらった。

おぬしたちからもたくさん教えられた。

いつの時代も、人は一人では生きていけない。

17歳になったおぬしも友人や仲間を大切にし、精一杯、楽しんで生きて欲しい。

誕生日おめでとう。

希望しかない夢ある人生を、一歩一歩進んでほしい。

そして、彼女ができたら、必ず紹介してくれ。笑

父より

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