【50代になっても友達はできる】長男の中学校野球部父兄から始まった「8人の笑える親父たち」

生活(暮らし)にまつわる.etc

「20歳過ぎたら、本当の友達なんてできない」

そんなことを言う人がいる。

私の中学校時代からの同級生にも、そんな考え方の奴がいた。

「友達なんて、子供の頃からの付き合いじゃなきゃ本当の友達じゃない」

まあ、考え方は人それぞれだ。全てが間違っているわけでもない。

でも、私は少し違う。違うが故に前述の彼とはもうお付き合いしていない。

仲間は何歳になってもできる

その出会いは、意外なところに転がっていた。

奇跡のような出会い。長男の中学校時代の野球部での話である。

邂逅

長男は中学生の頃、野球部に所属していた。近所のガキ大将的な先輩に誘われるがまま、入部した。

私は野球に全く興味がない。ただ、当然、子供が野球をやっていれば、親もグラウンドに行く。

試合を見、練習を見、送迎をし、道具を運び、時には他県での試合にも応援に行く。父母会だってある。

いやはや、とても大変な3年間を過ごした。

ただ、長男にとっては『宝物』のような3年間であっただろう。

そして今も付き合いが続いている「親父たち」との出会いは、当然『ここ』になる。

子供たちが中学校を卒業して、もう6年以上にもなるが、我々に卒業はない。

制服の胸のボタンを下級生たちにねだられることもなければ、夜の校舎、窓ガラス壊して回ることもない。

「子供が卒業したら親同士の付き合いも終了」には、ならない。

長男の同級生たちは12人。

その中から選りすぐりの「8人の親父たち」が集まった。

しかも、面白いことに同い年は一人もいない。

年齢はそこそこ近いが、50歳から57歳まで全てバラけて8人。

奇跡である。

職業もバラバラ。

人生もバラバラ。

酒飲むと会話もバラバラ。

それなのに、なぜか仲がいい。

『濃い』メンバー

私を含めこの8人、なかなかのメンバーである。

私のように会社経営を終えて、54歳で現役を退いた人間もいれば、

「俺は75歳まで現役で働くぞ!」

と豪語している最年長もいる。

小学校の校長先生もいる(下戸)笑

幼稚園の園長先生もいる(松田聖子を歌う)

大手企業のお偉いさんもいる(かなり👆の人)

会社の役員もいる(名前ばかりの)笑

薬物屋さんもいる(あ、薬局のことね)笑

ある有名ドラマの診療所を作った人もいる(今や観光地)

そして、私。

こうして並べてみると、なんとも統一感がない。

普通なら、同席することすら憚られる。

ところが、酒を飲み始めると関係ない。(飲めない人もいるが…)

肩書きなんて、どこかへ消えてしまう。

飲めない人も含め、みんな子どもに戻ってしまう。

極めて厄介な親父8人衆である。

会社でやりたい放題

私がまだ会社を経営していた頃は、2週間に1回くらいのペースで土曜日に集合。

場所は、私の会社の事務所。

夕方になると親父たちがゾロゾロと集まってくる。

みんなで買い物行って、16時には乾杯。

YouTubeを使ってカラオケ。

私がギターを弾き、誰かが歌う。リクエストも受け付ける。

焼肉を始める、寿司を食べる。

そして、また歌う。飲む。寝る。

もう完全に「悪い大人の放課後」である。

会社の事務所なのに、もはや会社ではない。

そのうち、何のために集まっているのか分からなくなる。

「子どもたちのこれから」を真剣に考えよう!と言って集まった日もあったのに、だ。

酔っ払って、歌って、寝る人もいて、気がつけばいつも夜中。

時計の針が真上を指す。

それでも親父8人、自力で帰る。

もちろん千鳥足だが、体力だけは若い。

月1にはなったけど……

私が会社をやめ、倉庫や事務所もなくなった。

以前のように私の会社に集まることは、もうできなくなり、今は月に1回くらいの集合になった。

それでも、みんな変わらず元気だ。

いや、むしろ元気すぎる。

最年長の親父は校長先生のいる小学校で、週末草刈りをやっている。

それもかなり危険な斜面で、だ。強すぎる。

年齢を重ねると、普通は少しずつ人付き合いは減っていく。

仕事を辞めれば仕事関係の人とは疎遠。

子供が大きくなれば、子供を通じた付き合いなど激減。

生活環境が変われば、自然と会わなくなる人ばかりだ。

それが普通なのだと思う。

子供たちはあれから中学校、高校と2回も卒業している。それぞれ友人も、彼女も変わった。

だが、私たちは変わらない。卒業しない。

ついでに皆、離婚はしていない。笑

友達?照れくさいな、仲間かな

冒頭で書いたように、私は中学校時代からの友人との付き合いを、彼のその考え方ゆえに今では破綻させてしまっている。

その彼が以前、こんなことを言っていた。

「20歳過ぎて知り合う奴は友達にはなれない」

私は、その考え方には賛成できない。真っ向から反対だ。

現実を見ればわかる。

子どもたちの野球部がきっかけで知り合った親父たちは、6年以上の月日を経て、今でもなお一緒に飲んでいる。

これを「仲間」と呼ばないのなら、一体何を仲間と呼ぶのだろう。

私は思う。

友達や仲間というのは、年齢ではなく、心の持ちようなのではないか?

門は空いている

私が思う、人間関係の基軸は「門扉を開けておくこと」だと思っている。

自分から心を閉ざしていたら、誰も入ってこられない。

心の門が閉まっているのだから当然だ。

でも、門扉を開けておけば、平然としていれば、人はやってくる。

そして、こちらからも人のところへ尋ねて行けばいい。

行ってみればわかる、合わない人もいるし、苦手な人もいる。

それは当然だ。当たり前だ。

でも、最初から「人間関係なんてこんなもの」と決めつけてしまうのはいかがなもんか?。

人生は思っているより短い、そして人との出会いは、『あなた』が考えているより面白い。

与那国島出身の男に「本当の自由」を見た

この8人の中に、一人、沖縄県の与那国島出身の男がいる。

私より年下だ。

しかしこの男、なかなか面白い。

そして私は、彼から教わった。

「自由に生きる」とは、こう言う事、と

この男の横には常に酒がある。そして酔っている。

※「ちいかわ」のくりまんじゅうを思い浮かべていただければ、そのまんま。

人間と言うやつは、どうしても世間体を気にする。

「こうあるべき」に縛られてしまう。

知らず知らずのうちに、世の中に呑まれてしまっている。

ところが、この男は酒と世の中を「呑んでいる」

とてもグレイトだ。

こんなふうに生きて行けたら、とさえ思えてくる。

そしてこの男の一言が、私に54歳で会社経営を終え、早期リタイアを決める要因の一つをくれた。

もちろん、すべてを彼のせいやお陰にするつもりはない。

しかし、人の生き方を見て、自分の生き方を考え直すことはある。

そういう意味で、彼の存在は私にとって非常に大きい。

子供たちからも教えられている

「心の狭い人間にはなるな」よくみんな言う。

特に父親はこのようなお説教をしてしまいがちだ。

しかし、子供たちと話していると、彼らの方がよほど寛容であることに気付く。

人間、歳を取るほど頑固になりやすい。

「昔はこうだった」

「普通はこうだ」

「俺たちの時代はこうだった」

と言い始めたらもうダメだ。

気がつけば、自分の価値観だけで他人を判断するようになる。

私は、そういう人間にはなりたくないし、当然子どもたちにもなってほしくない。

前述した私の同級生のような、寂しい大人は少なくて良い。

私は年代の違う人たちから、話や考えも聞きたい。

そして、何歳になっても人との出会いを大切に。

私の今の思いである。

本日は8人で飲み会

さて本日だ。

また今のところ、この8人で飲みに行く。

何を話すのかは分からない。

いつものようにくだらない話で終わる事が予想される。

そしてたぶん、また話の内容は覚えてないだろう。

でも必ず、きっと大笑いする。

そして酒が進む。

こうして人生は続いていく。

子供たちはもう中学生ではない。

あの頃から6年以上が過ぎ、皆21歳だ。

でも、親父たちはまだ野球部父兄の延長戦をやっている。

延長何回かはわからないし、表裏のわからない。

投げた球数も、もうとっくに規定投球数は超えている。

俺たちの暑い夏は、まだまだ続く。

さすらおう

54歳、会社経営を終え、早期リタイアをした。

仕事という、広く人間関係を培養していく器はなくなった。

これから先、自分にはどんな出会いが待っているのだろうか?良いものばかりでないことは、これまでの54年間が証明している。

しかし、今はあまり心配はしていない。

なぜなら、すでに答えを知っているからだ。

人間関係は、自分の心の扉を開けてさえおけばいい

門扉を開け、来る人を拒まない。

自分からも人のところへ行ってみる。

そうすれば、人生の途中でも新しい友人や仲間はできる。

さすらいさえすれば良い。

子どもたちの野球部の保護者だった、たったそれだけの事で出会った8人が、6年以上も経って、まだ一緒に酒を飲んでいる。

54歳の私に突きつけられた、動かぬ証拠。嬉しい誤算。

野球部の子たちに感謝!

さて、本当に今日こそ、飲み過ぎに注意、である。

タイトルとURLをコピーしました