夏の終わりになると、なぜか昔の映画が観たくなる。
最近、またアルフレッド・ヒッチコックの映画を何本か見直している。
ヒッチコックの映画は数多くあるが、その中でも私は『ハリーの災難』と言う作品がかなり好きだ。この作品、1955年の映画なので、もちろん古い。ところが「古い」だけでは済まされぬ面白さが、所狭しと並べられている。
加えて、現在のリマスターは素晴らしい。
オリジナルでは少しぼやけて見えた、バーモント州の美しい森や牧歌的な風景が、色鮮やかに画面に蘇っている。
そして、この映画の内容。
実際、観られたことのある読者諸兄には説明も不要かと思うが、実は、とても面白いことをやっている。

主人公のハリーの足裏
いや、このブログのタイトルにした「ほとんど出てこない」という言い方も少し違う。
実はハリーはずっと(ほとんど)出ている。
ただし、死体として。
しかも、顔はほとんど見えない。
ハリーは映画の冒頭から死体として登場し、その死体を中心に物語が進んでいく。
これが実に面白い。
森の中でハリーの死体が見つかる。
すると、それを見つけた人たちが、
「もしかしたら、自分が殺したのではないか?」「自分が関わってしまったのか!?」
などと思い始める。
ある人は銃で撃ったのではないかと思い、ある人は自分がハリーを殴ったことを思い出す。
そして、誰もが自分とハリーの死との関係を疑ってしまう。
結果として何が始まるかというと、
死体を埋める、掘り返す、隠す。
そしてまた掘り返す、の繰り返し。
普通なら殺人事件というのは、犯人は誰なのか、どうやって殺されたのか、という方向に話が進んでいく。
ところが『ハリーの災難』は少し違う。
「誰が殺したのか」という謎よりも、
「この死体、どうしたらいいんだ?」
という話になっていく。
直接関わりの薄い人までその行為に加担してしまう。これが面白い。
しかもハリー本人は、最後までほとんど何も語らない。
当然だ。
死んでいるのだから。
それでも映画の中心には、ずっとハリーがいる。

そして顔
これも面白いところで、ハリーの顔そのものはほとんど見えない(多少は見える)のだが、画家がハリーの似顔絵を描く場面があり、ハリー本人の顔をほぼ直接見せないまま、「ハリーという人物」を観客に想像させている。
ここまで来ると、
「この映画、本当の主人公は誰なんだ?」
と思ってしまう。
ハリーの災難なのだから、当然ハリーの話だと思う。
ところが実際に描かれているのは、ハリーを取り巻く人たちの日常なのだ。
ハリーが死んだ。
ただ、それだけの出来事によって、周りにいる人たちの生活が変わっていく。
その様子をヒッチコックは、ブラックユーモアを交えながら実に軽妙に描いている。
ふと思い出した映画
それは『桐島、部活やめるってよ』だった。
一見すると、まったく違う映画だ。
『ハリーの災難』は死体をめぐる話。
『桐島、部活やめるってよ』は高校生たちの青春映画。
ところが、私には妙に似ているように思えた。
『桐島、部活やめるってよ』では、バレー部のキャプテンだった桐島が突然、部活を辞める。
ただ、それだけのことなのだ。
ところが、その「桐島が部活を辞めた」という出来事によって、周りの高校生たちの日常が少しずつ狂っていく。
そして面白いのは、
肝心の桐島がほとんど出てこない。
周りの人間たちが桐島について話し、桐島を気にし、桐島に振り回される。
物語の中心に『桐島』はいるのに、本人はそこにいない。
これは『ハリーの災難』と、どこか似ている。
『ハリーの災難』では、ハリーの死体を中心に人々が右往左往する。
『桐島、部活やめるってよ』では、桐島の不在を中心に高校生たちが右往左往する。
どちらも、主人公そのものを描いているようで、実は主人公の周りにいる人たちを描いている。双方、映画のタイトルにでさえ、名前は出てるのに…。
とてもウイットに富んでいて、ユーモアとセンスあふれる映画たちだ。
『桐島、部活やめるってよ』も、桐島が突然部活を辞めたことで、学校内に波紋が広がっていく群像劇として描かれている。

本もまた、良👆
観る人によって完成する映画
物語の中心にいる人が、必ずしも画面の中心にいる必要はない。
むしろ、その人がいないことで、周りの人間がどう動くのか。
そこを描くことで、逆にその人物の存在感がより強くなる。
これはかなり面白い映画の作り方だと思う。
そして、こういう映画は観る人によって感じ方がかなり違う。
劇中で説明してくれるわけではないし、「こういう話ですよ」と最後に答えを全部渡してくれるわけでもない。
観る側が、自身の価値観や、生きてきた中で置かれてきた立場から想像し、ある一定の答えを模索する。
そして、これらの映画は観終わった時に、自分の考えとともに作品が完成するような気がする。
だから私は、こういう映画が好きなのだと思う。
天才アルフレッド・ヒッチコック
映画は大好きだ。
今までかなりの本数をジャンル問わず観てきた。
ヒッチコックの映画についても、これまでたくさんの作品を観た。
『ロープ』のように、ほぼ一つの部屋の中で殺人をめぐる物語を展開させる作品もあれば、
『知りすぎていた男』『北北西に進路を取れ』『裏窓』『ダイアルMを回せ』『ファミリープロット』
キューバ危機を背景にした『トパーズ』もあるし、はたまた『鳥』もある。
あ、『フレンジー』もいい。
なんと言っても極めつけは、やはり『サイコ』だろう。
若かりし頃、この映画を観て、
幽霊よりも、ゾンビよりも怖いのは人間なんだな
と思ったことを、今でも覚えている。
ヒッチコックにはいろいろな作品がある。
リメイクされたものもあるし、今の時代になって改めて評価されている作品もある。
それでも、何をみても、何度見ても面白い。
ヒッチコックの凄さ、それは現代でも通用するブラック・ユーモアに尽きる気がするのは、私だけではないであろう。

夏の終わりに、上質なサスペンスを
暑さも翳りを見せてきた。
少し涼しくなってくると、家で映画を見る時間もまた良いものだ。
最近、私はヒッチコックを一作、一作、また見直している。
昔観た映画なのに、今観るとまた違ったところが見えてくる。
若い頃には気づかなかったことが、今になって妙に気になる。
映画というのは、面白いものである。
同じ作品なのに、観る自分が変われば、映画の見え方も変わってくる。
そんなことを考えながら、今夜もまた一本。
ヒッチコックのミステリーに、少しだけ付き合ってみようと思う。