- 35年前、誰も見向きもしなかった「ゴミの山」が私の人生を変えた【第二章】
- 「ウエス屋」とは?
- 倉庫には「とんでもないもの」も
- 仕入値「1kg=400円」
- ヴィンテージ、なんてのも
- 手間暇
- 「安い仕入れだから儲かった」などと思うなかれ
- 20kg〜30kg仕入れて、8,000円〜12,000円
- Treasure hunter
- 卸屋からは買わない
- 欲しいものだけしかいらない
- frontier〜未開の地〜
- 一か八か
- レディース古着
- 私にしか見ることのできない、景色
- 24歳、出店
- 若さゆえ…
- 独身、2LDK、新車のジープ・チェロキー
- 儲かった理由は明確
- 「利益」を出すのは当たり前、問題はそこではない
- 誠意とは
- 人に優しく、人を大切に
- 35年前の秘密、今では公然の事実
- それから3年
- 第三章へ続く
35年前、誰も見向きもしなかった「ゴミの山」が私の人生を変えた【第二章】
前回の記事では、私が19歳の頃、ジーンズショップで働きながら古着屋になることを決意したところまでを書いたと思う。
そして、東京で初めての仕入れに挑む。
なけなしの5万円を握りしめて買ったのは、今考えても「どうやって売るんだ、これ?」というネルシャツ。「失敗」と言う言葉がしっかり当てはまった出来事であった。
ところが、その失敗がきっかけで、私はある言葉を耳にする。
「ウエス屋」
今回は、そのウエス屋とは一体何だったのか。
そして、なぜ私はそこから古着を仕入れることになったのか。
35年ほど前の古着業界の話を、今だからこそお話ししよう。
いやはや、人生とは。かくも不思議なものである。
「ウエス屋」とは?
まず、ウエス屋とは何なのか。
今の若い方には、ほとんど馴染みのない言葉だと思う。
「ウエス」とは、工場などで機械や工具の油や汚れを拭き取るために使う布のこと。
当時は、家庭から出る衣類などが今のようにリユースショップへ持ち込まれることは、今ほど一般的ではなく、そもそも、今のような買取専門店が街のあちこちにある時代ではなかった。
着なくなった服。
古くなったタオル。
下着。
靴下。
ボロボロになった衣類。
そういったものは、地域の回収などを経て、最終的には「ゴミ」として扱われることが多かった。
ウエス屋はそのゴミを廃品として回収し、衣類などを選別、工業用のウエスとして再利用する。
つまり、
「捨てられるはずだった衣類を、もう一度資源として使う」
そんな仕事が『ウエス屋』だった。
倉庫には「とんでもないもの」も
大量の衣類。
新品のようなものもあれば、ボロボロのものもある。
タオルもある。
下着もある。
「これはさすがに無理だろう」というものまである。
当たり前だ。なぜなら皆、ゴミとして出されたものなのだから。
まさに、
衣類のカオス。
普通の人が見たら、全部ゴミ。
でも、私には違って見えた。
その中には、
「古着屋的には、紛れもなく価値のあるもの」
が混ざっていたからである。
仕入値「1kg=400円」
私が仕入れていた頃の価格は、
1kg=約400円。
今から考えると、信じられないような価格かもしれない。
例えばジーンズ。
1本でおおよそ800g〜1kgくらい。
つまり、単純に考えれば、
ジーンズ1本=約400円。
もちろん実際には、仕入れ条件や商品によって違いが出る。
それでも、当時の私にとっては非常に魅力的な仕入価格であったことは言うまでもない。
なにしろ、使えないネルシャツ100枚が5万円、を経験しているのだから。
そして、ここで重要なのは、
「全部が普通のジーンズではなかった」
ということ。
ヴィンテージ、なんてのも
さて、もしその中からヴィンテージのジーンズが出てきたとしよう。
先ほども書いたが、仕入れ値は400円/kg。
状態や年代にもよるが、ヴィンテージ販売価格は数万円になることもある。
通常のジーンズでも当時としては、
7,000円〜8,000円くらい。
そして、条件の良いヴィンテージになると、
2万円〜3万円、場合によっては5万円。
400円で仕入れたものが、高額に化ける。
これが古着の世界、やめられない。
もちろん、毎回そんな大当たりが出るわけではない。
むしろ、ほとんどは普通の商品。
だからこそ、
「何を見つけるか」
が勝負だった。
手間暇
これなら簡単に儲かる。
読者諸兄はそう思うかもしれない。
確かに仕入れ価格は安い。
ただし、商品をそのまま店頭に並べていたわけではなく、私の場合、基本的には一度洗濯してから販売していた。
古着には独特な「モノ」が多い。それらは一度洗濯することによって、全てではないが、ある程度リセットさせられる。臭いや、埃、シミなども軽減させることができる。
他の古着屋が海外から買い付けた『ベール』の梱包を解いて、しわくちゃのまま店に出しているのでは、やはり古着の印象は悪いものになってしまうだろう。私はそれを軽減したかった。
私の扱う古着は、『他とは違う』を演出していきたかったのである。
「安い仕入れだから儲かった」などと思うなかれ
確かに私は、かなり安い価格で仕入れをしていた。
しかし、
「安く買えば儲かる」
というほど商売は甘くない。
重要なのは、
①仕入れ金額の低さ
②商品を見る目
③欲しい、新しく売れる商品を見つけ、探し出す根気
④仕入れ先の人たちへの気遣い
この4つ。
20kg〜30kg仕入れて、8,000円〜12,000円
私が一度に仕入れる量は、おおよそ20kg〜30kg。(それ以上、1日では探しきれず)
金額にすると、
8,000円〜12,000円程度。
当時の私にとっては、これくらいの量がちょうど良かった。
何でもかんでも大量に買えばいいわけではない。
自分の目で全部チェックする。
一枚一枚、手に取る。
タグを見る。
生地を見る。
サイズを見る。
状態を見る。
そして、
「これは売れる」
と思ったものだけを選ぶ。
だから、倉庫の中での仕入れは、とにかく時間との戦いでもあった。
Treasure hunter
大量の衣類の山を前にして、一枚ずつ掘っていく。
「これは違う。」
「これも違う。」
そんなことを、どれほどの時間やっただろう。
でも、その中から確かに、
「これは絶対に売れる」
という一枚を見つけた瞬間がたまらない。
まさに宝探し。
そして、そのお宝がお客さんの手元に届くことを想像する楽しみ。
えも言えぬ瞬間である。
卸屋からは買わない
当時の普通の仕入れは、
卸屋さんから商品を購入する
というのが基本だった。
もちろん、そこにはメリットもある。
ある程度選別されている。
商品が見やすい。
仕入れが早い。
しかし、その分、価格は高くなる。
そして、私にはもう一つ気になることがあった。
自分が欲しくない商品まで混ざっている。
これが嫌だった。
だから私は倉庫へ行き、
自分で見て、自分で選んで、自分で買う。
この方法にのみ、こだわり続けた。
欲しいものだけしかいらない
これが最大のメリットだった。
「今日はジーンズを」
「今日はスポーツブランドを」
と思えば、その山を探す。もちろん、そのほかも見るが、決して無駄はしない。必要なものだけを購入する。
もちろん、そんな簡単に欲しいものが見つかるわけではない。
だからこそ、
「目利き」と「根気」
一日中、汗をかき、埃にまみれる「努力」が必要だった。
frontier〜未開の地〜
当時の古着業界は、アメリカ古着全盛。
リーバイス。
Lee。
Wrangler。
ワークウェア。
ミリタリー。
Made in U.S.A。
皆がアメリカを見ていた。
私は、と言えば例の倉庫の中で別のものを探す。
国内から出てくるスポーツブランド。
当時としては画期的な古着、70’s〜80’sのスポーツウェア。
一か八か
当時の感覚で、そこに大きな価値を見いだしていた者は、まだ誰もいなかった。と思う。
今なら、
「ヴィンテージアディダス」
なんて聞けば、古着好きでなくとも反応するだろう。
ただ、当時は違った。
アメリカ古着が圧倒的に人気のそんな時代、私は倉庫の中から出てくる国内のスポーツブランドを買い漁った。
「これは面白い」
そんな感覚が、私の強みだったのだろう。
誰も手を出さないようなものに惹かれ、買い集め、勝負に出る。
レディース古着
もう一つ、私が早い段階で取り入れたものの中に、レディースの古着がある。
当時は、今のように女性古着が当たり前のように流通していたわけではなかった。
古着と言えば、女性も着てはいたが、男性用を着用する割合が多かった。
私が通っていた倉庫は国内古着の宝庫だったので、
70年代頃からの女性ものが、まさに湧き水のように出てくる。
「これも面白い」
私は女性古着も、他に先駆けて積極的に仕入れるようになっていった。
私にしか見ることのできない、景色
これらは後々、自分の商売にとって大きな財産になった。
人が見ていない景色を見たい。
そして、
誰も行ったことの無い道を歩く。
商売で大切なものは何か?と聞かれたら、私は第一にこれを挙げるだろう。
古着に限らず商売は、「みんなが欲しいもの」を仕入れれば、当然仕入れ価格も上がる。
でも、「まだ誰もその価値に気づいていないもの」を安く仕入れ、「これは着方によっては面白いものになる」とお客様に伝える。
私にしか出来ない商売ができる喜びは、筆舌に尽くしがたい。
24歳、出店
さて、ここまで私は古着を仕入れ、色々な店舗に古着を卸しながら、フリーマーケットなどで生計を立ててきた。
そこそこに売上もあり、十分に独立して食べていけていた。
こうして仕入れと販売を繰り返していくうちに、
「この仕事でずっとやっていける。」
という確信が生まれてきた。
そして24歳。
私はついに自分の店を持つことを決意。
19歳でジーンズショップに入り、
店長になり、
古着屋の店主と出会い、
東京へ行き、
5万円で大失敗し、
電話帳をめくり、
ウエス屋を探し、
倉庫に通い、
フリーマーケットで売り、
店舗へ卸し、
そして24歳で開業。
狭い街なので、数々の噂を流され、意地悪をされながらも、そんなものにはへこたれもせず、我が道を爆走。
振り返ってみても、まるで昨日のことのように思い出される。
若さゆえ…
若かったからできたのだろう。
朝早くから仕入れ。
昼間は店。
閉店後は付き合いなどで夜遊び。
寝る時間なんて、今考えたらほとんどなかった。血尿が出た時もあった。
でも、当時は平気だった。
若さゆえの行動ではあるが、とにかく『生きている』と言う実感が私を満足させた。
当然、今なら出来ない。笑
独身、2LDK、新車のジープ・チェロキー
独身。
2LDKのマンション。
新車のジープ・チェロキー。
そして月の小遣いは、
50万円を軽く超えていた。
正直使いきれない。
今の自分からすると、
「そのお金でアップル株買っておけばよかった」
と激しく思う。
何に使っていたんだろう。
貯蓄以外は、綺麗に消滅。
でも、そんな時代が私を育てた。
そして、それは間違いなく自分の頭と体一つで稼いだお金だった。
儲かった理由は明確
誤解してほしくない事がひとつある。
当時の私が儲けられた理由、それは、
「流行りに乗って古着を扱っていたから」
ではない。
仕入れが特殊だったから
一般的な仕入れ(楽な)をしている店舗の場合、販売価格に対して仕入れ値が3割〜5割程度になることが基本。新品の洋服なんかは6割、7割になることもざらだ。
一方、私の場合は、
売価に対して1割以下
を基本に販売価格を設定。
もちろん、すべての商品がそうだったわけではないが、全体として考えた際、どこにも無理が出ないように工夫を重ねた。
だから、当たり前であるが利益が残った。
商売をやる以上、自分が『やってる感』だけ出して、利益も取れず、親や親戚が持っている店舗を無償で貸してもらって商売をやっているなんて人には負けたくなかった。
生き残ることが自分の商売の証だった。
「利益」を出すのは当たり前、問題はそこではない
仕入れが安い。
だから儲かる。
それだけのことで、商売が長続きできると思ったら大きな間違い。
お客様から、信頼を勝ち取るにはどうしたら良いのか?
この店は無いな、と思われたら終わり。
だから私は、徹底的に商品にこだわった。
洗いもした、取れているボタンなどないようにした、すべての商品の状態を確認した。
必要以上に手入れをした。
そして、
「自分だったら、この商品をこの価格で買うか?」
とイメージし、考え、店頭に並べた。
もちろん、大切に。
誠意とは
古着だから、仕方ない。
これは、ご都合主義の古着屋店主たちの苦しい言い訳。
古着だからこそ、
きちんと手入れする。
古着だからこそ、
商品の状態を正直に伝える。
古着だからこそ、
お客様が納得して買えるように手入れをする。
誠意とは、お客様に、自身に対して、持つべき大切なもの。
人に優しく、人を大切に
私は仕入れ先の人たちをとても大切にしてきた。
商品はそこにあって商品に非。すべて、関わって下さった方の手を介して商品になる。
あの頃の私は若かったので、最初から商売のことを全て分かっていたわけではない。
人から咎められたこともたくさんあった。
しかし、
「そこにも、ここにも人がいるからこそ、商売ができる」
ということだけは、何となく分かっていた。
だから、当たり前だが、挨拶をする。
お礼を言う。
約束を守る。
無理を言いすぎない。
そして困ったときには、本気で助けてくれる人たちが、私の周りにはたくさんいた。
自分のしてきた事は、当たり前のことかもしれないが、商売ではこの「当たり前」がものすごく大切で重要になってくる。
35年前の秘密、今では公然の事実
インターネットがある。
SNSがある。
オークションがある。
フリマアプリがある。
古着の情報も、価格も、仕入先も、昔とは比べものにならないくらいオープンになった。
しかし、だからこそ、
商売は難しくなった。
フリマアプリでの物の買い方、売り方を見ているばわかる。
お客様に対して平気で嘘をつく、悪態をつく、そもそも商品に誠意がない。
もちろんすべてに当てはまりはしない。真面目な出品者さんたちも大勢いる。
一部の心無い輩のために、周りが迷惑していることは、古今の東西、洋の南北を問わず続いている。
目に見えない価値すら、きちんと商品にして、お客様へ届けること。
これこそが、私が古着屋人生で学んだことかもしれない。
それから3年
24歳で故郷の街に店を構えてから、27歳までの3年間。
私は毎日、古着と格闘した。
若さゆえにできた、無尽蔵な毎日。
私はその3年間で古着屋として、そして商売人として、多くのことを学んだ。
そして27歳を迎える春。
ここから私の人生は、また大きく方向を変えることになる。
なぜ商売を離れることになったのか。
何があったのか。
そして、その後30年以上続く商売へどうつながっていったのか。
それはまた次回。
第三章へ続く
「27歳、古着屋を一旦やめる。そして次の人生へ」
19歳で見つけた「古着」という仕事。
24歳で始めた自分の店。
27歳で迎えた大きな転機。
そして、その後の30数年間。
ここから先は、単なる古着屋の話ではない。
「自分はどうやって生きてきたのか」
という話になる。
サラリーマンにはなれなかった。
無論、後悔など皆無。
学歴もない。
されど、やはり、痛痒は何も感じない。
私のここからの人生が読者諸兄にとって、興味深いものになれば幸いである。
では次回、この続きをお話ししたい、と思う。

